おおたによしつぐしゅっせいち 大谷吉継出生地 おすすめコメント 石田三成の盟友で、秀吉の誉れ高い大谷吉継の出生地とされる長浜市余呉町小谷(諸説あり)。小谷と書いて「おおたに」と読みます。『淡海温故録』や『余呉町誌』、さらには小谷の八幡神社社伝にも、吉継出生の地との記述があります。八幡神社は火災に遭い、吉継出生を証明する文書等はなく、小谷集落には出生地を記した碑などもありませんが、大谷吉継に敬意を払い集落名を“小谷”として継いできた地元住民の中に、吉継は今も生きています。羽柴秀吉が長浜城主だった頃、北近江一帯で新たに召し抱えられた家臣の中に、吉継がいたとされています。当地一帯は、秀吉と柴田勝家が信長亡き後の跡目を争った「賤ヶ岳合戦」の激戦地で、吉継も三成らとともに参戦し武功を挙げました。さらに吉継が城主を務めた敦賀5万7000石は、小谷の北隣(福井県敦賀市)にあります。三成との義を重んじ、関ヶ原合戦では西軍として最後まで奮戦した吉継でしたが、度重なる裏切りの末に敗れ、ついに自刃します。米原市下多良には、吉継の首塚と伝わる場所があります。 スポット情報 カテゴリ 史跡・名勝 住所 〒529-0534滋賀県長浜市余呉町小谷158 ルートを調べる 周辺スポットを探す 電話番号 0749-82-5909 アクセス JR余呉駅下車 路線バス「余呉バス柳ケ瀬線」小谷下車10分/木之本ICから約15分 スマートフォン用ページ 周辺スポットを探す
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石田三成の盟友で、秀吉の誉れ高い大谷吉継の出生地とされる長浜市余呉町小谷(諸説あり)。小谷と書いて「おおたに」と読みます。『淡海温故録』や『余呉町誌』、さらには小谷の八幡神社社伝にも、吉継出生の地との記述があります。八幡神社は火災に遭い、吉継出生を証明する文書等はなく、小谷集落には出生地を記した碑などもありませんが、大谷吉継に敬意を払い集落名を“小谷”として継いできた地元住民の中に、吉継は今も生きています。羽柴秀吉が長浜城主だった頃、北近江一帯で新たに召し抱えられた家臣の中に、吉継がいたとされています。当地一帯は、秀吉と柴田勝家が信長亡き後の跡目を争った「賤ヶ岳合戦」の激戦地で、吉継も三成らとともに参戦し武功を挙げました。さらに吉継が城主を務めた敦賀5万7000石は、小谷の北隣(福井県敦賀市)にあります。三成との義を重んじ、関ヶ原合戦では西軍として最後まで奮戦した吉継でしたが、度重なる裏切りの末に敗れ、ついに自刃します。米原市下多良には、吉継の首塚と伝わる場所があります。