あかやまじょうあと(あかやまじんやしきあと) 赤山城跡(赤山陣屋敷跡) おすすめコメント 伊奈家三代目の忠治の代に、赤山領として幕府から7千石を賜り、寛永6年(1629)に小室(現埼玉県北足立郡伊奈町)から赤山のこの地に居住し赤山城を築きました。四代目の忠克以後も伊奈家は新田開発、治水事業だけでなく、災害時の救民活動や、江戸深川埋め立ての市街地化などを手がけました。しかし、寛政4年(1792)、12代忠尊(ただたか)は、養子の問題をはじめとする身内の問題や、忠尊自身の不始末を理由に関東郡代を罷免され、伊奈家は改易。163年間続いた赤山陣屋も解体されました。その後は一部の堀と土塁を残して田畑や山林となっています。 スポット情報 カテゴリ 城・城跡 住所 埼玉県川口市赤山768 ルートを調べる 周辺スポットを探す 定休日 なし スマートフォン用ページ 周辺スポットを探す
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伊奈家三代目の忠治の代に、赤山領として幕府から7千石を賜り、寛永6年(1629)に小室(現埼玉県北足立郡伊奈町)から赤山のこの地に居住し赤山城を築きました。四代目の忠克以後も伊奈家は新田開発、治水事業だけでなく、災害時の救民活動や、江戸深川埋め立ての市街地化などを手がけました。しかし、寛政4年(1792)、12代忠尊(ただたか)は、養子の問題をはじめとする身内の問題や、忠尊自身の不始末を理由に関東郡代を罷免され、伊奈家は改易。163年間続いた赤山陣屋も解体されました。その後は一部の堀と土塁を残して田畑や山林となっています。