きょうどかるた わ 郷土かるた「わ」

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「若き尼の 恋物語 尼の泣き水」[朝日さし 夕日輝く 国分寺 いつも絶えせぬ 尼の泣水]
誰が歌ったものかはわかりませんが、この歌とともに「尼の泣き水」伝説が語り継がれています。
天平13年(741)、聖武天皇は人々の平和な生活を願って、国ごとに国分寺と国分尼寺を建てるように命じました。相模国では、風光明媚な土地である海老名の地に建てられることになりました。
やがて天をつくような七重塔がある国分寺が建てられ、そこから北に500mほど離れた場所に国分尼寺も建てられました。
その頃、国分寺の下を流れる相模川で、魚を取って暮らしていた若い漁師がいました。その漁師はいつしか国分尼寺の尼さんと知り合い、たがいに愛し合うようになりました。
尼さんは結婚が禁じられていましたので、2人は人目を忍んで逢瀬を重ねていました。ある日のこと、若者が困った顔をしているので尼さんは何か心配事があるのですか、とたずねました。若者はなかなか口を開かなかったのですが、やがて決心し、七重の塔を含めた屋根の飾りがあまりにまぶしく輝くので魚が逃げてしまい、漁をしても魚が取れないと話しました。尼さんはどうすることもできないので、だまってしまい、2人はさびしそうにその場は別れていきました。
その夜のことです。「火事だー。火事だー。国分寺が燃えているぞー」
漁師のことを思うあまりに尼さんが国分寺に火をつけたのです。一度燃え始めた国分寺は、消すこともできず、一晩のうちに焼けてなくなりました。
尼さんは捕らえられ丘の上に生き埋めにされ、竹のこぎり引きの刑に処せられてしまいました。
その後、不思議なことに、その場所から一滴二滴と湧き水が流れ出ました。村人は尼さんが罪をわびて流している涙といって、その湧き水を「尼の泣き水」と呼びました。
尼の泣き水は海老名小学校の上の台地にあって、昭和40年代頃まで清水が湧きでていましたが、いつとなく枯れてしまいました。またこの場所に供養塔が建てられましたが、薬師堂(現国分寺)境内に移されています。 

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